フランス、西アフリカ植民地時代の「虐殺」を認める セネガルのフェイ大統領が発言

フランスは、ほぼ正確に80年前に自国の兵士がセネガルで数十人、おそらくは数百人を殺害する「大虐殺」を行ったことを初めて認めたとセネガルのバシルー・ディオマイ・フェイ大統領が述べた。

死亡した人々は、第二次世界大戦の開始時に宗主国フランスを守るために徴兵されたティライユール・セネガリ部隊の一員であった。

歴史家によると、1944年にセネガルに帰国すると、多くの人が給料について抗議し、それが残忍な対応につながったという。

この殺害はセネガルとフランスの間の争点となっており、パリが両国の関係を認めたと報じられたのは、フェイが両国関係の再評価について話している中で行われた。

ティライユール・セネガルに参加した人々はセネガル出身だけでなく、現在のマリ、ギニア、ニジェール、ベナン、チャドを含むフランスのアフリカ帝国全土から来ていた。

彼らはフランスに送られ、多くはドイツの侵攻が成功した際に捕虜となった。 1944年に解放された兵士たちはセネガルに連れ戻され、首都ダカールから15キロ離れたティアロエ軍事キャンプに収容された。

歴史家のアルメル・マボン氏によると、フランスを離れる前から、多くの人が自分たちが受け取ることになっている給与や、他のフランス軍と同じではないという事実について不満を抱いていたという。ティアロエでは一時、資金に対する怒りが高まり、植民地当局はこれを反乱とみなした。

12月1日、フランス軍は暴力的に抗議活動を鎮圧した。当時、ティライユールのうち35人が死亡したと言われていたが、死者数を400人に上るとする説もある。

AP通信はフランスのエマニュエル・マクロン大統領からフェイに宛てた書簡を引用し、「フランスは、あの日、正当な賃金の全額支払いを要求した兵士と小銃手との衝突が、虐殺につながる一連の出来事を引き起こしたことを認識すべきだ」と報じた。と言うように。

これに先立ち、2014年に当時のフランソワ・オランド大統領は今回の出来事を「血なまぐさい弾圧」と呼んだ。

セネガルは日曜日に銃撃事件から80周年を迎える予定だ。

AP通信によると、マクロン氏の書簡に対するフェイ氏の返答の中で、フランス側の承認は「ティアロエ氏のこの痛ましい出来事についての全真実」を明らかにするための「扉が開かれる」だろうと述べたという。

「我々は長い間この話の決着を求めてきたが、今回はフランスのコミットメントが全面的、率直かつ協力的なものになると信じている」と同氏は付け加えた。

謝罪を求める可能性も示唆した。

セネガルの独立から64年が経った今も、フランスは同国に軍事駐留を続けているが、3月に当選したフェイ氏は木曜AFP通信に対し、フランスはセネガルの基地を閉鎖すべきだと述べた。

「セネガルは独立国であり、主権国家であり、主権国家における軍事基地の存在は主権によって認められない」と同氏は述べたという。

ダカールでのママドゥ・フェイによる追加レポート。

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